私たちが生きる現代社会では、物質的な豊かさが重要視されてきましたが、
ようやく精神や心の重要性に注目が集まる様にもなってきました。
多くの人々が、物質的な豊かさや名声、お金だけでは本当の幸福を得られないことに気づき始めています。
少しずつ、でも確実に、
精神性が重視される時代になっているのを感じます。
若い人の感覚がまさにそうですね。
物より気持ちを大切にしている若者が多い様に思います。
この流れの中で、多くの人の関心が精神や心に向かっているのではないでしょうか。
精神性=真実の受け入れではない
しかし、精神性に興味があると言っても、真実を知りたいかどうかは人によって異なります。
真実は人々に受け入れられにくいものです。
歴史の中の、この世の真実を語った人物が迫害される運命にあった様に。
人間というものは大抵、都合の悪い真実を聞きたくないという側面を持っています。
たとえば、大好きな甘いくて油分たっぷりの食事を楽しんでいるときに
急に「それは体に良くないから控えなさい」と言われたら
一般的には嬉しくはないですよね。
勿論、頭では理解しているはずです。
でも、心では「ちょっとくらいなら大丈夫だ」と思ってしまいます。
これは人間の自然な思考のクセであり、真実から目を背けたいという衝動です。
同様に怒りの感情が良くないと分かっていても、なかなか抑えられないことが多いです。
ついつい怒りを無理やり正当化してしまい勝ちな気がします。
我慢は良くないとか、ときには発散も大事だとか。
しかし怒りは破滅のエネルギーです。
怒りの矛先がが物に向かえばそれを壊し、自分に向かえば健康を損ねるかも知れません。
他人に向ければ、それは漏れなくとても不幸な結果をもたらします。
怒りが破壊を呼び寄せることは真実であり、それを無視することはできません。
しかし前述の様に、人間は真実から目を背けたがる傾向があります。
たとえば、「怒りを持ってはいけない」と言われると反発を感じます。
逆に「怒っても当然だよ」と言われると妙な安心感を覚えるでしょう。
長くなってきました。続きは次回にしたいと思います。