穏やかに生きる

物質 vs 精神 そして真実

そっと、ひっそり

気づけば人生の半分以上を大変勿体ない使い方をしてしまった 中高年独身男が、 インターネットを通じてメンターと呼べる方と出会い、 独りひっそりビジネスに再起をかけるブログです。 lit.link/sottohissori

私たちが生きる現代社会では、物質的な豊かさが重要視されてきましたが、

ようやく精神や心の重要性に注目が集まる様にもなってきました。

多くの人々が、物質的な豊かさや名声、お金だけでは本当の幸福を得られないことに気づき始めています。

少しずつ、でも確実に、

精神性が重視される時代になっているのを感じます。

若い人の感覚がまさにそうですね。

物より気持ちを大切にしている若者が多い様に思います。

 

この流れの中で、多くの人の関心が精神や心に向かっているのではないでしょうか。

精神性=真実の受け入れではない

しかし、精神性に興味があると言っても、真実を知りたいかどうかは人によって異なります。

真実は人々に受け入れられにくいものです。

 

歴史の中の、この世の真実を語った人物が迫害される運命にあった様に。

 

人間というものは大抵、都合の悪い真実を聞きたくないという側面を持っています。

たとえば、大好きな甘いくて油分たっぷりの食事を楽しんでいるときに

急に「それは体に良くないから控えなさい」と言われたら

一般的には嬉しくはないですよね。

 

勿論、頭では理解しているはずです。

でも、心では「ちょっとくらいなら大丈夫だ」と思ってしまいます。

 

これは人間の自然な思考のクセであり、真実から目を背けたいという衝動です。

同様に怒りの感情が良くないと分かっていても、なかなか抑えられないことが多いです。

ついつい怒りを無理やり正当化してしまい勝ちな気がします。

我慢は良くないとか、ときには発散も大事だとか。

 

しかし怒りは破滅のエネルギーです。

怒りの矛先がが物に向かえばそれを壊し、自分に向かえば健康を損ねるかも知れません。

他人に向ければ、それは漏れなくとても不幸な結果をもたらします。

 

怒りが破壊を呼び寄せることは真実であり、それを無視することはできません。

 

しかし前述の様に、人間は真実から目を背けたがる傾向があります。

たとえば、「怒りを持ってはいけない」と言われると反発を感じます。

逆に「怒っても当然だよ」と言われると妙な安心感を覚えるでしょう。

 

長くなってきました。続きは次回にしたいと思います。

 

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